My短歌(短歌日記)
(退職に際して)
…東芝9年(東京都府中市)、松江高専8年(松江市)、広島工業大学25年(広島市)の長き旅でした。
関わりのあった方々に心より感謝します。ようやく郷里の益田市に戻ります。…
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ーーーーー定年前後ーーーーー
本日で最終講義終了し 嬉しくもあり寂しくもあり
研究室私物整理し広々と 巣立ちし子らは記憶の中に
新しき机搬入研究室 居場所無くなり心ざわめく
ついにきた定年の朝感無量 自己評価は合格とする
退職で鎧兜を脱ぎすてて 心地よきかな自由の身なり
退職後何時ものように予定確認 改めて知る置かれし立場
自由の身何をしようか模索して アイデアのみで日が暮れにけり
我が歳を平均寿命と比較して 順序づけるは為すべき事項
退職で組織肩書脱ぎすてて 頼りになるは自分のチカラ
四月過ぎ飛ぶが如しの退職後 生活リズムいまだつかめぬ
退職後もう十分とまだやれる 揺れる比率の面白きかな
退職後親無き生家整えて妻と移住す終の住処ぞ
退職後素人短歌始めたる 妻を選者に任命すなり
退職で年賀のしまい送りけり 隠居生活突入の吾
贈られし退職祝い花束を 家内にわたし労をねぎらう
退職の祝いの宴(うたげ)我が子らは 孫を引き連れ頼もしく見え
我が息子同窓生を集めたり 懐かしい顔、逞ましい顔
神棚に長き旅路を感謝して ようやく成りし生家の戸主に
祖霊社に無事に退職報告し ようやく戻る故郷の家へ
もう少し世との繋がり確保せん 終の住処にLANをひくなり
ーー就業時代(42年)ーー
(東芝 9年)
東京で 吾の仕事は始まりて 夢中になりしソフト開発
入社時に「I(アイ)・T(ティ)・π(パイ)」と教わりし 技術者の道 半(なか)ばなりけり
「I(アイ)・T(ティ)・π(パイ)] の意味:
Iはひとつの分野の専門家になれ、Tは他の分野に伸びていけ、そして、πはもうひとつの分野の専門家になれという技術者としての心構え
この会社 「しがみつくな」と言われたり 衝撃受けし入社教育 <東芝入社教育>
残業も 苦にはならずに楽しけれ 自分の仕事 片付く様に
客先に 他社と集結 議論して 共に目指すは世界初なり
試作品 同一仕様 提示され 三社で競う事前検証
嬉しけれ 処理速度にて評価され 我社の受注決定す
書き留めし 技術者ノートその中に 日々の奮闘 刻まれてをり
技術者の レベル向上目指すため 半期に一つ特許提案
休日は テニスコートを予約して 試合の後の芝上(しばうえ)ランチ
軽井沢 上司が有す別荘に 皆で押しかけテニス三昧
保養所の 抽選当たり熱海まで テニス仲間で旅行するなり
繁忙期 新婚旅行終了後 三日徹夜で家に帰れず
妻からの 安否確認 電話にて 家に戻りて仮眠取るなり
突然に 机の前に課長来て エジプト行きを打診されたり
それは無理 英語出来ぬと断われぞ アラビア語だと理由付けられ
渡航前 予防の注射 破傷風 コレラと共に二回打たれて
エジプトの 受注が決まり客先と 仕様確認 打ち合わせする
初めての 海外旅行エジプトに 一人旅にて 旅立ちぬ
カイロにて 出迎え有りと教えられ 名前のカード 必死に探せし
カード持つ 現地の人を見つけたり 宿泊先に無事到着す
チェックイン 荷物を置きて すぐさまに ピラミッドまで吾は出かけて
初めての ラクダ乗せられボラレたり されど貴重な体験をせし
宿泊は 宮殿ホテル・マリオット 吾一人にも三つの大部屋
夕食は コンサル会社 自宅にて メイド作りし料理を食す
海外で 仕事をこなすコンサルの 生活実態 理解できたり
客先と ソフト仕様の打ち合わせ なんとか意志の疎通が出来し
エジプトの 電気供給・安定化 日本の技術 用いられをり
システムの 使用訓練するために 十数人の技術者来たる
我が家に 長女が生まれ 引っ越しせし 環境の良い国立(くにたち)の街
主務となり 仕事の幅も広がりて 新たなジョブが立ち上がりきて
羽田から 最終便で福岡へ 朝から仕様 打ち合わせする
ある夜に電話が有りし恩師から 諦(あきら)めていた教師の打診
就職しすでに八年(やほねん)過ぎてをり 日々の生活 充実しをり
恩師には 今の状況説明し 断りの意志 伝えんとする
何度かの 誘いの電話続きをり 出張するので会えと指示あり
顔合わし 持参の手紙 見せられし 見覚えのある吾の手紙ぞ
就活時 吾は手紙を携えて 恩師の学校 訪れてをり
年を経て 引き継がれたる その手紙 当時の思い吾に呼びかけ
一年後 吾が専門のポスト空く 昔の希望 甦(よみがえ)りきて
吾が気持ち 妻に相談してみると 「問題なし」と賛成すなり
引越し先 車の移動 必要で 妻はさっそく自動車学校
恩師へと 受諾の意志を伝えたり これで後には引かれなくなり
退職の 意思を課長に連絡す ついに開始し長き道のり
上司への 依頼は全て文書にて 記録を残し確実にせし
何回も 時間をかけて協議して 条件付きの許可をもぎ取る
担当の ジョブ完了が条件で 円満退社 可能となりぬ
客先の立ち会い試験 八月で 就任時期が半年延びる
情報の 資格を得ぬと 休日は 図書館に行き集中すなり
世界初 自動復旧・システムの 運用開始心が躍る
客先と他社連名の論文が 吾(われ)筆頭で掲載決定
条件の 立ち会い試験完了し 円満退社 実現するなり
目指したる 特種情報処理試験 合格通知 吾に届けり
職場にて 離任挨拶設けられ 感謝の思い伝えられたり
妻と子は 先に新居へ引っ越せし 最後の夜は一人祝いて
湧き上がる 開放感に満たされて 大の字になり余韻楽しむ
明後日 辞令交付が予定され 挨拶の言 草案するなり
(松江高専 8年)
初めての 官舎住まいは一軒家 「トトロの家」と妻は言うなり
何事も不便な暮らし始まりて されど住む人みな温(あたた)かく
娘連れ 妻は買い物 車にて 若葉マークの運転手なり
新職場 卒業生の自分でも みな温かく受け入れてくれ
教授会 挨拶機会予定され 自分の決意 表明すなり
誰も居ぬ教室使い 模擬講義 黒板文字のサイズ確認
担当の 講義ノートを作成す 役立ちたるは昔のノート
学内の様子はすでに 既知のため 全てすんなり順応すなり
新職場 かねての夢が実現し 研究室の主(ぬし)となりける
吾が時間 企業と比べ確実に 自由になりし時間増えたし
企業での 経験したる内容は かくも大きな自信となりて
学会の仕事も増えし 嬉しけれ 多くの人と知り合いになり
大学と付き合いはじめ 刺激受け 研究成果 論文にする
大学の教授の支援いただきて 研究設備 充実しをり
海外の講演機会 増加して 英論文の書き方を知る
我が家にも 長男生まれ九代目 「元気に育て」妻と願いて
母の住む 田舎に家を新築す 小さきけれど美しくあり
初節句 田舎の家に鯉のぼり 義兄が設置 竹のポールで
街中の官舎へ移転 完了し 不便な暮らし改善すなり
複数の 筆頭論文蓄積し 内地留学 申請すなり
大学に一年(ひととせ)期間 籍移し 学位論文 申請すなり
予備審査・公聴会を通過して ようやく手にする博士号なり
職場内 同級生の教官と 家族ぐるみの付き合い楽し
恩師から 転職打診 電話あり 吾を求める大学ありと
現職は 国家公務員不満なし 考えなしと回答すなり
恩師言う 旅行のついで訪問す 直接会いて説得されたり
研究を進める上で 大学は 魅力ありとの考えとなる
妻と子と 帰省の途中立ち寄りて 街の様子を観察すなり
妻と子の 了解得られ決断す 恩師従い転職すなり
二回目の 転職なりて その過程 既に頭に入ってをりたる
(広島工業大学 25年)
初めての 広島暮らしマンションは 眺望の良き学園資産
子と妻は 学期に合わせて居を移す 吾は遅れて合流すなり
共同の 研究増えて忙しく 土日も向かう研究室よ
院生の研究成果 充実し 学会における評価上がりて
院生は国際会議 講演を義務付け吾も 一層努力す
研究の成果上がりし学部生 外部講演 経験させる
新築の マンション買いて移り住む 子供の部屋も確保できたり
子は巣立ち それぞれの家 作り上げ 孫の総数 五人になりて
学部長・研究科長 拝命し 大学発展 微力を尽くす
教科書の出版方法覚えたり 六冊の和書 一冊の英書
学部・院 二百四十・三十八 研究室の輩出者なり <学部生:240名 院生:38名>
東芝の 経験もとに実施した 吾が人づくり効果は如何に
不本意な途中退職 便り有り 謝りたしは就職指導
嬉しけれ 卒業生の年賀状 感謝の言葉 添えられてをり
巣立ちたる 子らの前途を祝福し 研究室の看板下ろす
不思議なり 師の導きの転職よ 何か大きな力を感ず
<一回目:これは自分が種を撒いていたため恩師・山本忠賢先生の強力な導き;ニ回目:これは自分の学会活動を見てくれていた恩師・中前栄八郎先生と佐々木博司先生の強力な導き>
就業の 四十二年わたる旅 総じた結果 合格とする