内容

言語学は記号論を含めて脳科学から社会学(多種多様な芸術までも)を 理論的に説明するものでなければならいのか、大きな問題に圧倒されるのだが、言語哲学(分析哲学と重なっている)の前に 自然科学全般のことばである数学の扱い方、どこからか本能や環境などか、情報科学の信号は記号論になるのかどうか、様々な芸術表現は 如何なるものか等々を先人の言葉を借りるなら、誤解を招くのを承知の上でことばにすると、レイコフの譬えである、ウィトゲンシュタインの 言語ゲーム、龍樹のことばには意味がない、以上は懐疑的であるが説得力がある。 あるいは古くはアリストテレスに始まる論理学での説明、その後の歴史はここでは書かないが、 今なら?チョムスキーの変形生成文法、エーコの記号生産の理論等々の形式化、構造化も散見されるが、もちろん批判に晒されますし、 「意味の意味」オグデン リチャーズ の著作があるように、意味論が言語学の中心問題かもしれませんし、 また、認知言語学からの新たな知見がありますが、 しかしながら、テーマ 数学 で述べたようにヒルベルトの形式化が批判どころか潰えたかのうように扱われるのは難しい問題であり、 私としては決して無駄な試みではないと考えてます。例えば、論理学からの形式意味論をモンタギューが自然言語を論理式に翻訳を理論化し、 情報科学への利用されるなどしているからです。モンタギュー文法はテーマ 情報科学 で扱うことになると思います。 どの様な視点から研究するか、最近の言語哲学等を考慮しながら、考えようと思います。 短い上記文章さえ、記号、言語、哲学を区別出来てないかもしれませんし、それを言語で書いている自己言及になっておりますが、 ここが言葉の難しさかもしれませんね。